今回は農地の歴史についてさらっと紹介していきたいと思います。
著者:三保良農園、2024年4月に静岡県で就農予定で現在は研修中の者です。
江戸時代
江戸時代、農民の税金は米で支払われていました。
小作人と呼ばれる土地を借りている農家もいましたが、後で紹介するように不在地主は基本的にあまりいなませんでした。
明治時代
地租改正により、農民の税金が現金での納税に変わりました。
これまで米を納めていた農民は米を現金化する必要に迫られることとなります。
しかし、個別の農家が農作業の他に販売まで行う事は難しかったようです。
そのため、庄屋や現金取引のある人に土地を売り、小作人として農作業に専念し、収穫した米の現金化は外部委託する形が急激に増えました。
戦前
こういった流れで、小作人が増えた結果、地主は中間手数料をあげて大規模な農地を管理するようになります。
そのうちに地主は都市部へ流れ、農村におらず、中間手数料のみを徴収する不在地主と呼ばれる地主が多数存在するようになりました。
戦後
GHQの農地解放により、農地は耕作者のものとする法律が施行され、多くの農家が独立することができました。
その結果、高い中間手数料を払うこともなくなり、生産が活発化しました。
そして、地主による農地の買い占めを防ぐため、農地法によって農地の売買などに関して厳しいルールが作られました。
現在
戦後から現在に至るまで、農業の機械化がすすみ、一人当たりで管理できる農地がとても広くなりました。
しかし、農地法の制限で、農地の売買には厳しいルールがあります。
本来であれば、広大な面積を少数で耕作することが技術的には可能ですが、農地を簡単に買うことが出来ません。
そのため、農業の規模拡大を行うときは借地として借りることが一般的になっています。
しかし、細かな農地を全て借りることは難しく、飛び地になる場合が多いのが現状です。
最後に
農家を守るために作られた農地法が、現在では規模拡大の足を引っ張る形となってしまっています。
また、新規就農の時も、簡単に農地は買えません。
農地は所有者の権利の他に公共のものという側面もあるため、農地の取得に関しては、行政がかかわることも多いです。
新規就農をお考えの方は、まずはお住いの市町村役場へ相談しましょう。
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